2006  走り始め 函館一人旅  (その3)


期間:平成18年4月30日〜5月3日(3泊4日)


鹿部方面から見た駒ヶ岳


5月2日(火)晴れ、今日は昨日と打って変わって天気が良い。でも浜風が強くちょっと寒い。同室の連泊(本州)組は今日それぞれの目的地に散っていきました。私は、8時頃、RHを出発し近場を走ることに。パンク修理とカッパ・カメラをタンクバックに入れ湯ノ川〜恵山〜鹿部〜駒ヶ岳と向かう。


朝風を受けながら函館市内を抜け、湯ノ川を経て活火山「恵山」を見ながら「日の浜」付近で小休止。

奇妙な岩山が見えるこの地では昆布漁が始まっていました。

お年寄りご夫婦が一本一本丁寧に昆布干しに精を出していましたが、相変わらず冷たい風が吹いていました。



正面の山が活火山「恵山」です。
ここはもうじき恵山ツツジの咲きほころぶ綺麗な場所

生憎時期が少し早いのと、春の訪れが遅れていることから、早咲きの恵山ツツジも見えませんでした。


恵山火山の活動は約4〜5万年前に始まり、約1万年前までに海向山や外輪山、スカイ沢山の溶岩ドーム形成とそれに伴う火砕流が発生した。噴出中心は次第に東に移動する傾向がある。その後、火砕流を伴う噴火活動や恵山ドームの形成があり、山体崩壊も発生している。恵山溶岩ドーム西麓の爆裂火口では噴気活動が盛んである。この爆裂火口や中央火口丘周辺には硫黄鉱床がある。水蒸気爆発・泥流を生じやすい。


恵山海岸で採れた昆布を家中総出でほす作業をします。日高昆布、利尻昆布など北海道は良い昆布が採れる。

冷たい海風が程よい塩味を付けるのでしょうか?


恵山の海岸で見掛けた昆布乾しの風景

函館市恵山地区(旧恵山町)の前浜は、津軽海峡を東流してきた対馬海流(暖流)と、太平洋岸を南下する千島海流(寒流)とが合流する場所で、豊かな海洋資源に恵まれ、アルギン酸やフコイダンを沢山含んだ良質な真昆布・みついし昆布・がごめ昆布等が水揚されています。



恵山から元来た道を引き返し、R278を椴法華村へ・・・恵山道路を右に海を見ながら海岸線を進む。間欠泉が見られる鹿部温泉街。以前は無料で見学出来たのですが、・・・いつの間にか、有料で温泉旅館もなくなっていました。当然有料と聞いてパス。


鹿部方向から見た駒ヶ岳の全景。未だ雪に覆われ厳しい山肌を見せています。

駒ヶ岳の麓には瀟洒な別荘郡がありました。本州から風光明媚なこの地に安住の地を求めて移住してきたそうです


また、近くには自衛隊の演習場がありましたが、無論立ち入り禁止でした。





雪解けの進む駒ヶ岳を大沼公園から見ました。水の色はまだ、冷たそうですが確実に春はやって来ていました。

爆発によって吹き飛ばされた鋭い山頂部となだらかな稜線を持つ独立峰。大沼公園のシンボル的な存在でもある秀峰です。稜線部には標高892mの隅田盛、標高1113mの砂原岳、標高1131mの剣ケ峰の3つのピークがあり、火口も3つあります。1998年に火山活動が始まり現在は登山規制中です。

大沼国定公園の中に、大きく分けて3つの沼があります。
通常、駐車場に止まって見学するところが「大沼」で、線路を越えて白鳥の飛来場所が「小沼」、そして意外と知られていないのが、高級料亭で酢の物で使用される“じゅんさい(蓴菜)”が取れる「蓴菜沼」。



沼の周りには春の息吹が感じられました。

函館に近い景勝地で、公園区域には駒ヶ岳と山麓の大沼などの湖沼群が入っています。
 駒ヶ岳(1,131m)は円錐形の成層火山ですが、爆発によって崩壊を起し、山頂部は特異な形をしています。
 また、崩壊による泥流は山麓部の凹地を堰き止めて、大沼、小沼、蓴菜沼などの湖沼群を作りました。大沼は一番大きく、大小多数の島々を浮かべ、イタヤカエデ、シラカバなどからなる森林の新緑、紅葉が美しく、裏磐梯と似た風景を現しています。
 青函トンネルが開通し、カー・トレインが走るようになって、本州からのドライブが容易になりました。




駒ヶ岳・大沼公園を後にし、再びR5動線を南下、函館に向かいました。

森昌子が歌う立待岬へ。相変わらず風が冷たい

函館山の南端に突き出た岬で、津軽海峡をはさんで下北・津軽半島を彼方に望むビューポイント。

夜はイカつりの漁火を間近に眺められるロマンティックな場所でもあります。岬へ向かう途中に啄木一族の墓がありました。




函館八幡宮

文安2年(1445年)河野政通が蝦夷地に渡来し現在の元町公園通りに館を築いたとき、その東南のすみに八幡社を立てたのが始まりといわれる。この八幡社は、一時赤川村(現市内赤川町)に移ったが、慶安年間(1648−1651年)に再びもとの地に移した。
 寛政11年(1799年)幕府の東蝦夷地直轄にあたり、蝦夷奉行(後に箱館奉行と改め、翌年、奉行所庁舎が完成した。)が置かれることとなり、八幡社がある河野館跡地を奉行所用地としたため、文化元年(1804年)会所町(現八幡坂の上)に移された。
 その後、明治11年(1878年)の大火で社殿を焼失し、翌年12年にも仮殿が焼失したため、同13年(1880年)この地に移った。
 大正7年(1918年)に完成した現在の社殿は、鎌倉時代に発達した聖亭造りを加味し、新様式も取り入れた八幡造りであり、優雅で壮麗な建物である。


この後、昨日も入った市営谷地頭温泉へそして、今夜の撮影のためのエネルギー補充!

函館と言えば「塩ラーメン」見事に透き通ったスープは程よい塩味で冷えた体には絶品でした。


一旦RHに戻り、撮影機材を背中に徒歩でロープウエー登り口まで・・・・相変わらず風は強いがこの風がある限りガスが立ちこめる事はないと確信し2度目の函館山へと・・・・・




ロープウエーの中からと日没前の函館風景。このとおり風は強いものの絶好の撮影日よりこの日を3日間待ちました。


日没後の夜景、右は上磯方面の夜景標高334m、展望台からの夜景は世界一との評価も受けている。山頂へはロープウェイ、タクシー、バス、自家用車、登山道を徒歩で登るなど。自動車道は冬期は閉鎖中。頂上からの展望は昼も夜も素晴しいが、特に夕暮から夜にかけての景色がおススメ。一年のうちでは、秋と冬が一番美しいといわれている


函館連絡船「摩周丸」もライトアップされ、はっきりと見えました。右の写真は函館空港方面で下からロープウエーが上がってくるのが映っています。

平成18年5月2日の夜は終わりました。夜景の素晴らしさに感動しながら冷たくなった手をかばいながらRHに戻りました。風の強かった今回の初ツーリングまだ、時間はタップリあるのですが、桜前線も遅れているようなので大間・弘前行きは断念し、明日帰路につこうかと・・・・・


今日の走行キロ 約230km



2006  走り始め 函館一人旅  


平成18年5月3日 晴れ

昨夜の函館山から見た夜景の素晴らしさを胸に、今日は滝川へ帰路の旅へ。まだ休みは半分以上あるのだが・・・ツナギの上にもう一枚のライダースーツを着込んでのツーリング、老骨には応えた3日間でした。今度暖かい日にもう一度来ようと・・・・RH(ミートハウス)の居心地は最高でした。


登別伊達時代村

北海道の大自然に抱かれた広大な敷地の中には、金色の巨大な招き猫が待ち構える恐怖の化け猫屋敷「おにゃんこ寺」、日本古来の妖怪が勢揃いした昔懐かし見せ物小屋「妖怪びっくり小屋」、体がどうしても斜めになる部屋など、錯覚の世界が展開する「忍者怪怪迷路」楽しい施設がいっぱい。もちろん時代村名物の園内あらゆる場所で行なわれる芝居も大人気でした。GWとあって大勢の人達が訪れていました・

屋台も並び、ここでかき揚げ丼を胃袋に収め腹ごしらえをしました。


記念の一瞬

帰路の途中、メーターが丁度33333kmの記念すべき瞬間を迎えました

苫小牧を過ぎ追分町付近での瞬間をカメラに収めました。

の、相棒とは北は北海道から南は九州まで良く走ってくれました。感謝です。

帰ってから、綺麗に磨いてあげようと・・・・




本日の走行キロ  358km
総走行キロ     926km

こうして3泊4日の今年度初めてのツーリングは5日間を残して終わりました。寒さに震えながらの毎日。今年の夏はいったいどうなるのか?ちょっと心配でもあります。函館のRHで同宿した本州のライダーさん今頃寒い北海道を走っている頃かと・・・・:無事のお帰りを心から祈りながら・・・グッドラック・ライダー


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