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広島・京都への旅



広島は二度目の訪問、2泊3日で日本三景の一つである宮島(厳島神社)と「戦艦大和」を建造した呉港を訪れました。後半は3泊4日で京都に移動し秋深まる紅葉を眺めてきました。また美味しいものも沢山頂いてきました。

ステップ解説記事

北海道離脱(新千歳空港)

滝川を早朝05:50特急ライラック2号で、新千歳空港、乗り継ぎ便で東京(羽田空港))を11:55分出発、広島空港へは、13:20到着。


羽田着

千歳出発が、幾分遅れたものの予定通り羽田に到着、広島行には充分待ち時間があるので、出発ロビーで休憩かたがた遅い朝食を済ませ、12時ジャスト広島へ


まずは、予約のホテルへ

13:20無事広島空港到着、シャトルバスに乗り込み広島へ。約1時間程で広島駅に到着、予定のホテルにチェックイン。


みっちゃん総本山「お好み焼き」

広島の玄関口、広島駅と直結したekie(エキエ)DINIG 廣島ぶちうま通りの「みっちゃん総本店 ekie店」は、旅行や出張で広島を訪れる多くの人が利用していました。

ビールスタンド重富

昭和初期に設計されたビールサーバーを復刻し、こだわりの注ぎ方で生ビールの旨さを届ける専門店です。店前のスペースはフードコートになっており、まわりの店舗でおつまみを購入していっしょに楽しむことができます。気になっていましたので吾輩も一杯・・・マイルドつぎを、うまい!

宮島

厳島神社

厳島神社は天照大御神(あまてらすおおみかみ)と素盞鳴尊(すさのおのみこと)が高天原(たかまのはら)で剣玉の御誓(うけい)をされた時に御出現になった神々で、御皇室の安泰や国家鎮護、また海上の守護神として古くから崇信を受けられた。
宮島に御鎮座地を探されるにあたり、この島を治める佐伯鞍職(さえきのくらもと)に神勅が下った。鞍職は大神様が高天原から連れてきた神鴉(ごからす)の先導のもと、御祭神と共に島の浦々を巡り、海水の差し引きする現在地を選んで御社殿を建てたのは、推古天皇御即位の年(593年)であると伝えられる。
その後安芸守となった平清盛(たいらのきよもり)が当社を篤く崇敬し、仁安3年(1168年)に寝殿造の様式を取り入れた御社殿に修造した。清盛の官位が上がるにつれ平家一門のみならず、承安4年(1174年)に、後白河(ごしらかわ)法皇の御幸(ごこう)、治承4年(1180)3月と9月に高倉上皇の御幸(ごこう)があるなど、多くの皇族・貴族が参詣され、都の文化がもたらされた。
厳島神社対する崇敬は、平家から源氏の世になっても変わることなく、又時代が移り室町時代の足利尊氏や義満、戦国時代の大内家、毛利家などからも崇拝された。
松島・天橋立と並び日本三景「安芸の宮島」として知られ、平成8年(1996年)にはユネスコの世界文化遺産に登録されている。
 
 



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和様と禅宗様が融合されて,みごとな構成をなす五重塔である。室町時代の応永14年(1407)創建と言われ,露盤(ろばん)下品軒覆の鉄板鋳銘から戦国時代の天文2年(1533)に改修されたことがわかる。九輪を鋳造した廿日市鋳物師(いもじ)山田壱岐守の名もあげられている。
初重の柱は上部を金襴巻(きんらんまき)とした朱漆塗で,それぞれ彩色の寄附者の名が記されている。内陣の天井は雲竜,来迎壁は表に蓮池,裏に白衣観音,周囲の壁板は瀟湘(しょうそう)八景を添景とした真言八祖の壁画である。

丁度訪れたときは、引潮の時間帯で大鳥居まで歩いていける頃でした。足元が気になり降りる勇気ありませんでした。

鹿に関連した商品を土産物店等で販売している一方で、宮島では「鹿は野生動物」であることを強調しており、基本的に観光化はされていない。例えば角切について、奈良の鹿では伝統行事として観光化しているのに対して、宮島で行政担当者が安全対策として行っており公開されていない。
廿日市市・宮島観光協会では、安易に鹿に餌を与えない、ゴミは持ち帰る、など呼びかけている。


祓殿

早くに訪れたため人通が少なくベストポジションへ

厳島神社の大鳥居
訪れる時間帯が早かったため、難なくベストポジションへ

豊国神社(千畳閣)大きなしゃもじ
豊臣秀吉公が、千部経の転読供養をするため天正15年(1587)発願し、安国寺恵瓊[あんこくじえけい]に建立を命じましたが、秀吉の死により未完成のまま現在にいたっています。

豊国神社(千畳閣)床に映る黄葉
地元のアマチュアカメラマンが陣取りカメラに納めていました。

豊国神社(千畳閣)

大聖院

大聖院とは

宮島にある寺院で最も歴史が深いのが、真言宗御室派(総本山仁和寺)の大本山大聖院です。空海が唐より帰朝後宮島に渡り弥山にて修行なされ、西暦806年(大同元年)開基。
皇室との関係深く、鳥羽天皇勅命の祈願道場として、また明治天皇行幸の際の宿泊先に、さらには秀吉が茶会を開いたこともある格式高いお寺です。


大聖院は真言宗御室派の大本山であり、関西屈指の名刹です。鳥羽天皇の勅願道場として、明治天皇が中国地方を御巡幸された際の行在所になるなど歴代皇室との関係も深くあります。明治維新までは十二坊の末寺を有し、厳島神社の別当寺として祭祀を行っていた厳島の総本坊です。仁和寺と当院は本山と末寺というだけでなく、深く関係を持つ。

本堂は鳥羽天皇の勅願道場であり、仁和寺第五世覚性法親王は鳥羽天皇の第五皇子です。治承四年(1180)三月の高倉上皇の御社参について記した土御門内大臣源通親公の「高倉院厳島御幸記」には厳島神社の別当寺といわれる所以が示されている。

弘法大師をはじめ、大師ご勧請の弥山の守護神 三鬼大権現、秀吉が朝鮮出兵の際に護身仏として祈念した波切不動明王や厳島神社の本地仏であった十一面観世音菩薩、七福神など数多くの仏さまを祀ります。弘法大師ゆかりの寺であり、厄除け開運のご利益が大きいことから「日本三大厄除け開運大師」の一つに数えられる霊験あらたかなお寺です。



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呉市に向かいます

広島から約50分

通勤電車
朝の通勤時刻(08:50)広島駅から呉市へ向かいました。始発だったため難なく席が確保でき、約50分の列車の旅を楽しみました。


港へ


約50分ほどで呉市駅に到着、「大和ミュージアム」の方向がわからずどうしようかと思っていましたが、すぐに案内看板を見つけ難なく目的地へ・・・戦艦「大和」を建造した軍港、日本一の海軍工廠のまちとして栄え、戦後は、世界最大のタンカーを数多く建造する明治以降の「呉の歴史」と造船・製鋼を始めとした各種の「科学技術」を紹介する博物館。館内には、零式艦上戦闘機六二型などの貴重な実物資料の他、船を中心とした科学技術の原理を体験・体感を通してわかりやすく紹介している展示室があります。毎週土日にはワークシ
ョップやサイエンスショーを開催している。

海上自衛隊資料館(てつのくじら館)


案内標識に導かれ辿り着いた呉港、大きな潜水艦が地上に置かれているのは目に入った。日本で初めて、実物の巨大潜水艦を陸上展示する博物館「海上自衛隊呉史料館(愛称:てつのくじら館)」は、「潜水艦の発展と現況」や「掃海艇の戦績と活躍」などに関する歴史的な資料を通して、海上自衛隊の歴史や、呉市と海上自衛隊の歴史的な関わりについて紹介する史料館です。 陸揚げされた実物の巨大潜水艦に乗艦することもでき、艦内には、艦長室や士官室などの艦内生活の一部が再現され、潜水中の環境や生活を疑似体験できるほか、潜水艦の構造を実際に「見て」、「触って」、「体感する」貴重な体験ができる史料館です


広島〜京都

11月24日15:03、予定より早めに広島をたち、新幹線で京都に向かう。
新幹線は広島始発のため、普通自由席がガラガラの状態で京都までのんびりと移動


新幹線


約1時間40分ほどの列車の旅、広島で乗り込むときに買い求めた飲み物ともみじまんじゅうを食べている間に京都についてしまった 。大阪で東京へ向かう人が溢れ乗車率100%ほど、さすが金曜日の午後、東京へ向かう人が多い、しかし新幹線実に早く快適。

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